2008/06/21
悲しみのナディア「序章」
拷問ナディアとジャン、
二人は東ヨーロッパの小国のはずれの小村に住む夫婦です。
母方のいとこ同士でもある二人は、幼い頃から仲が良く、
去年、相思相愛の想いを実らせ、めでたく結婚をしました。
世界は2度目の大戦を迎え混沌としていましたが、
目立った産業も無いこの片田舎の村にその余波は殆ど無く、
木こりのジャンの薪や手作りの木細工、
ナディアのお手製の織物を隣街の共同市で売り、
自給自足のできる程度の畑で手に入れられない食べ物や雑貨を
買ってしのぐといった慎ましい生活を送っています。
何よりも二人は人が羨むほど仲が良く、
21歳のジャンは勤勉で妻に優しく、
17歳のナディアもその笑顔は見ると誰しも幸せな気分にさせる
明るい娘なのです。
しかもあと2ヶ月もすれば二人の間には
待望の赤ん坊が生まれてくる予定です。
貧しいながらも二人はとても幸福に暮らしていました。
しかし突然、事態が急変したのです。
今の大戦の一方の枢軸国がこの国の国政に介入してきたのです。
前の年に連合国側の大国が侵攻されてきた事も有り
枢軸国と繋がりのあった軍部が政権を握り、
その大国からその占領地域を帰属させたのです。
戒厳令が敷かれ独立はしていますが、
平和主義だったこの国の王族は幽閉され、
事実上、枢軸国の隷属下に入ったのでした。
同時に隣国とも親しかった為に中央に忘れ去られていた
この国境に近い寒村が突然最重要拠点となったのです。
村の外れにある中世以前に立てられた
古城に軍事支部が置かれました。
いつも飛び交っていた明るい笑い声が村から途絶えました。
「いつか、終わるよ、それまでの我慢だよ・・・。」
めったに家の外に出ることが出来なくなった夫婦は
お互いを励ましあっていました。
軍部が置かれ、1ヶ月も経ったある日のことでした。
ドカッ!
二人が朝食を食べていると家の扉が荒々しく蹴破られ、
数人の兵士が押し入ってきたのです。
そして分隊長らしき一人の兵士が二人に向かって怒鳴りました。
「お前達がレディスタンス達を匿い、
隣国に逃がしていることは判ってる!!
城(軍部)まで来て貰おうか!」
「・・・な、なんのことですか・・・
言っていることが分かりませんが・・。」
席を立ち上がり、夫のジャンが兵士に向かい言いました。
「しらばっくれても無駄だ、証拠は掴んでる!
・・・命令拒否はそれだけで反逆罪とみなす。」
ナディアは座ったまま、恐怖に身重の身体を細かく震わせ、
夫の顔と兵士の顔を交互に見つめました。
「わかりました・・・。う、伺います。」
ガタ・・・
「ジャ、ジャン・・・。」
ナディアも思わず立ち上がりジャンの腕にすがりつきました。
「だいじょうぶ・・・。何にもないんだから・・・。」
ジャンはナディアの両肩を抱き、優しく語り掛けました。
兵士達はそんな二人を荒々しく引き離し、
ジャンの両腕に手錠を掛け、家の外に連行しました。。
ナディアもその後を追いかけ、家の外に出ました。
「・・・ジャン・・・。」
ナディアの投げかける言葉にジャンは振り返り優しく笑いかけました。
「直ぐに戻るよ・・・。」
二人の兵士に両脇を抱えられて歩いていくジャンの後姿が
丘の向こうに消えさったあとも、
ナディアはいつまでも見つめ立ち尽くしていました。
それからナディアの一人での生活が始まりました。
家の外には兵士がいて、ナディアの一挙手一投足を見張っています。
2日間、心配が募り何も口にすることが出来ませんでした。
『・・・あ、赤ちゃんの為に食べなきゃ・・・。』
3日目の朝、ナディアは、今、自分が出来ることは、
元気な赤ちゃんを産むこと、そして二人で夫を優しく迎えること、
それが夫に対して出来ることだと自分に言い聞かせ、
野菜スープとパンを食欲の無い胃に流し込み始めました。
けれど、スプーンを口に運ぶ度にいつも目の前にいた
優しい夫の笑顔を思い出し涙が溢れました。
「ジャン・・・うぅ・・」
カチャーン・・・。
今、夫はどうしているだろう、落としたスプーンを拾う気力もない、
そうした悲嘆にくれる日々が続きました。
6日目の朝、
ブルルル・・・、キィィ・・・バターン、バタン・・・!
家の外でこの村では聞き慣れない車の音が響きました。
「ジャ・・・ジャン・・、帰ってきたの?」
気を紛らす為に始めたけれど、
はかどらない編み物の手を停めドアに駆け寄ろうとしました。
その瞬間、再びドアが荒々しく開けられました。
「ナディアッ!お前を連行する!」
「・・・・っ!え・・・あ、あ・・・あの夫は・・・ジャンは!?」
「うるさいっ!黙ってついて来いっ!」
ナディアは両脇を二人の兵士に抱えられました。
家の外には軍用車とバイクが停められていました。
ナディアは軍用車の後部座席に押し込められ、
両側のドアから乗り込む兵士に中央に追いやられるように乗せられました。
自動車に乗ること・・、
奇しくもそれはナディアにとって初めての経験でした。
『すごいね・・・・!いつか、一緒に乗ってみたいね・・・』
昨年の暮れに隣町の市場に行った時、
石畳の道を颯爽と走るガソリン車をジャンと二人で初めて見たのでした。
それまでにも蒸気自動車を同じ隣町で見かけたことはありましたが、
黒光りしたボディのその乗り物を見たジャンの目を輝かせる
無邪気な笑顔を思い出しました。
「・・・ジャン・・・。」
ブルルウ・・・、
エンジンが掛けられ、車は動き始めました。
両脇の兵士の向こうの車窓からいつも二人で歩いていた景色が目に入ります。
「・・・ジャン・・・、・・・・ジャン・・・。」
夫の名前を何度も呟き続けるナディアの声は、
舗装されていない田舎道をガタガタと無機質な音をたてながら
進む車の振動にかき消されたのでした。
---------------------------------------------------------------
ふぃがろより
実はこのお話のナディアの設定は
将門つかさ先生の「アリシア」をヒントに作らせて戴いております。